元うつ病の私が「生きているだけで、愛」を観た感想と考察
※ネタばれ注意!(まだ「生きているだけで、愛」をご覧になっていない方はご遠慮ください)
今日は何となく、おうちでゆっくりと映画でも鑑賞しよう、また、ちょっとはブログの参考になるかと思い
日本映画【監督・脚本:関根光才 原作:本谷有希子】
主演:趣里、菅田将暉の「生きているだけで、愛」を観てみました!
うつ病がテーマなので、共感できることがあるかな~と思ったら
私、この映画を観て昔を思い出してしまったんです。
もしかしたら、私は最初からうつ病だったのかもしれないって...。
さて、どんなシーンで私は過去を思い出してしまったのでしょう。
「生きているだけで、愛」のあらすじ
映画の主人公「寧子(やすこ)」は引きこもりがちの過眠症、うつ症状のある若い女性です。
寧子は無職ですが、ひょんなことからゴシップ雑誌の編集部で働く津奈木と出会い、同棲を始めます。
前編
2人が住む部屋はお世辞にもキレイとは言えず、食事はいつも津奈木がコンビニでお弁当を買ってきていました。
寧子はアルバイトの面接さえも行けない状況で、そんな自分にいつもイライラして彼である津奈木に八つ当たりを繰り返しています。
津奈木はというと、本当は物書きになりたくて出版社に入社したものの
物書きには向かない性格ということで芸能人のゴシップ記事を書いていたのです。
津奈木も心の中で複雑な思い、葛藤を抱えています。
自分の感情のコントロールが難しい寧子は津奈木の気持ちまで考える余裕はなく、次第に津奈木の態度に不満を感じていきます。
津奈木は寧子の性格?うつ病を理解しているのかキツイことは言いませんが
とりあえず謝る、とりあえず言うことを聞くというような曖昧な態度で接しています。
ますますイライラする寧子。
人と向き合おうとしても、上手くいかずタイミングがつかめません。
寧子の姉から電話がかかってきて
「父親が心配している、寝ているだけで男の世話になっているなんて、いつ捨てられてもおかしくないよ」と。
寧子はわかっているのです、でも、できないのです。
気持ちはどんどん焦るばかり...空回りばかり。
津奈木が持ってきたコンビニのアルバイトのチラシを見てバイトをしようかと面接の約束をするのですが
起きることができず面接にも行けませんででした。
しかし、どうにか気持ちを持ち直そうと津奈木に料理を作ることを考えます。
スーパーへ買い物に出ますが、思惑とは裏腹に何をやろうとしても上手くいきません。
集中力の低下なのでしょう、また、自己嫌悪に陥る寧子。
2人が住む部屋は電気を使い過ぎると直ぐに、ブレーカーが落ちて停電してしまいます。
寧子は幼いころ、家が停電になると裸で踊る女性を見た記憶がありました。
その女性が母親であることを知ったのは、寧子が少し大きくなってからだったようです。
だからなのか、寧子は部屋が停電になるのをすごく恐れていました。
「生きているだけで疲れる」...寧子の気持ちがわかるような気がします。
後編
ある日突然、津奈木の元カノが部屋を訪ねてきて寧子に津奈木と別れるように迫ります。
津奈木の元カノ安堂は、寧子がて寝てばかりいるうつ病なのに彼といるなんて許せないと言います。
場所を移してカフェで話をする2人、寧子に津奈木と別れることを提案するのですが
寧子も特に彼とうまくいっているわけではない、だが部屋を出て行くお金もないと安堂に言います。
そこで、安堂はカフェのオーナーと知り合いなのか、寧子がカフェでバイトをすることを強引に決めてしまうのです。
またまた、ひょんなことからカフェでバイトをすることになった寧子。
カフェのオーナーに、私は料理も何もできない、使い物にならないと言いますが
そのカフェにはすでに心に問題を抱えた女子がバイトとして働いていました。
そうなんです、カフェのオーナー、オーナーのパートナーは寧子のように
心に問題を抱えた人に働くチャンスを与えてくれ自立を促してくれる心暖かい人たちだったのです。
寧子は一生懸命に頑張ります。
朝起きられるように目覚まし時計を5個も準備して起きました。
しかし、どうしても起きれず寝坊してしまいバイトを遅刻することも。
それでも、オーナーは怒りません。
バイトに行けない日があっても怒りません。
ただ、連絡がないと心配するので連絡は入れるようにと諭します。
「自律したいんだろう。」と、勇気づけてくれるのです。
寧子はもう、嬉しくて嬉しくて...
自分のような者を受け入れてくれる人たちがいたんだ...
バイト先の人は寧子を家族だと言って受け入れてくれるのです。
寧子は過眠症であるため、バイト先のトイレで眠ってしまうこともあります。
それもバレているのに怒られません。
家族だからと営業が終わった後に一緒に食事をします。
たわいない話をして笑う寧子。
少し躁うつの症状もあるようです。
ところが、本当にたわいない話「トイレのウォシュレットが怖い」と。
トイレで寝ていることを責められるのではなく、「トイレでそんなに長い時間何をしているんだ?」と聞かれた寧子は
「ウォシュレットの水が怖い、水は人を切ることもできるから怖くてどう使おうか考えてしまうから遅くなる」と。
すると、みんなは「そんなことはないだろう、そんなことは考えない」と笑います。
そこで寧子は「やっぱり、違う、私は人とは違うんだ!」と。
突然、嵐のように負の思考が襲ってきます。
トイレにこもってしまう寧子。
津奈木に助けを求めようと電話をしますが津奈木は出ません。
なかなか出てこない寧子を心配してオーナーが様子を見にいくと、寧子はキレてしまいトイレを破壊して逃げてしまいます。
寧子は走ります。
一方、津奈木も職場に嫌気がさして会社を辞めてしまっていました。(解雇かも)
帰り道をボーっと歩いている津奈木。
そこに、服を脱ぎながら走る寧子が現れます。
2人は部屋のあるアパートの屋上に行き思いをぶつけあいます。
寧子は全裸です。
何もかもが上手くいかないと感じている寧子は裸で自分をさらけ出しているのでしょうか。
自分が嫌で嫌でたまらない寧子。
「いいな~、津奈木は私と別れられて。私は私と別れられないのに。」
津奈木は寧子に言われて罪悪感を覚えたのでしょうか。
つらくて苦しくて、自分の思いをどうすることもできない。
嬉しいことがあって、やっと笑うことができたのに、人とは違うと感じる。
どうしてこんなにつらいの?どうしてこんなに苦しいの?どうしてこんなに虚しいの?...
しかし、津奈木に抱きしめられた寧子は「生きているだけ、愛」を感じたのでしょう。
私が感じた思い
もちろん、この寧子と私は全然違います。
でも、思い出したんです、寧子を見ていて。
心が虚しかった
不思議だったんです。
別に悲しい理由も苦しい理由も見つかりませんでした。
それなのに、何で私は悲しいの?何で苦しいの?
そんな自分の思いに気がついたのは小学校高学年の頃、そして年が増えるごとに強くなっていきました。
それって、当時は知らなかった言葉「虚しい」だったんだと思います。
心にぽっかりと開いた穴、虚しさの正体がわからずあえいでいたのです。
その頃は、もちろん「うつ病」などという病気も知られてなかったのか、病気自体がなかったのかわかりませんが
今思うと、その頃から私は「うつ病」だったと最近になって気がついたのです。
寧子の家庭環境はわかりませんが、停電になると裸で踊る母親の姿は...
少なくても寧子の目には普通の母親としては映らなかったのかもしれません。
私のうちの環境というと、詳細は割愛しますが
とにかく子どもが安心してくつろげる環境ではなかったと振り返ることができます。
いくら私が今でいう「うつ病」であったとしても、当時は「おかしな子だね。」で片付けられてしまったのでしょうね。
そして、数十年にわたり軽いうつ病のまま酒を飲みアルコール依存症に陥ってしまった、のだと思います。
やはり、子どもは家庭での愛、特に母親からの愛を十分に感じ取れないと
悲し思いを一生背負って生きていかなければならないのだと、改めて考えさせられました。
私の心の虚しさは少しずつ埋まってはいますが
私には裸で走るほどの気持ちの重さがない分、うつ病もそんなに重症ではなかったのでしょう。
自分の思いを繕うことなく裸のままで走れる寧子の気持ちに津奈木は共感を覚えたのでしょう。
そして、「生きているだけで、愛」を感じあえたのでしょう。
他の誰もがわかってくれなくても愛する者同士がわかりあえていればいい。
そう感じさせてくれるラストシーンでした。
うつ病の人の仕事
そして、最後にお伝えしたいのが
今回の寧子のように、心に問題を抱えた人やうつ病の人の仕事についてです。
寧子は理解のあるオーナーの下で働くことができたにもかかわらず、突然の負の思考に襲われてしまいました。
これでは、いくら理解のあるオーナーの下でも働き続けることは難しいかもしれません。
心に問題を抱えている人やうつ病の人が働くことは難しいのでしょうか。
このことについてはまた改めて考えてみたいと思います。
今日も最後までお読みくださりありがとうございました。
皆さまの精神と身体の健康を心からお祈り申し上げます。
webライターやってます。