意外と知らないアルコールと膵臓の関係【後悔しないためにできること】
皆さん、こんにちは!
アルコール依存症のバービーです。
今日は皆さんにお知らせしなくてはならないことがあります。
うちのアウトローな旦那
膵臓ガンになり自宅で療養生活を送っていたのですが
今年に入ったばかりの1月9日に死去いたしました。
旦那は最後まで闘うつもりで頑張っていたのですが、ついに力尽きてしまったようです。
本当に本当に最後まで死ぬなんて思っていなかったようで、私たち家族もお別れの言葉をかけることができませんでした。
今、家族に残された気持ちは後悔です。
目次
アルコールで引き起こす病気
これまでにも何度か、アルコールを大量に摂取することで引き起こす病気は見てきましたが
その中でも特に、代表的な病気を見ていきたいと思います。
肝臓の病気
アルコール、お酒を飲みすぎると肝臓が悪くなるというのはアル中さんじゃなくても知っていますよね。
私も肝臓の数値であるγ(ガンマ)が15,000なんていってしまい自慢のように書いていましたが冗談じゃありませんよね。
・脂肪肝
お酒を飲みすぎているとまず、脂肪肝になります。
脂肪肝も初期の頃は自覚症状がないので気がつくことが少ないようですが、飲酒をやめることで予防も改善も可能です。
・肝炎
上記の脂肪肝の段階で飲酒をやめることができず、飲み続けていると罹る(かかる)のが肝炎。
アルコール性の肝炎を引き起こすと、脂肪肝とは違い症状もはっきり表れてきます。
その症状は、腹痛、発熱、黄疸などで重篤な場合は命にかかわることもあります。
・肝硬変
お酒を長期間飲み続けたあげく、やめることもできず罹ってしまう恐ろしい病気が肝硬変です。
その症状は、黄疸、腹水がたまる、吐血があります。
私たちアルコール依存症なら誰が罹ってもおかしくない病気ですよね。
でも、断酒さえ成功すれば肝硬変ですら治ることもあるのです。
絶対、あきらめてはダメです!
消化器の病気
消化器というのは、食べ物や飲み物を口から入れて肛門から出すまで携わる器官のことです。
その中には、もちろん肝臓も膵臓も含まれています。
飲酒を長く続けていることで、口腔ガン、咽頭ガン、食道ガン、大腸ガンのリスクを高めてしまうようです。
また、消化管にも悪影響を与え、胃食道逆流症(逆流性食道炎)やマロリーワイス症候群(激しい嘔吐で食道と胃の境目が避けて出血してしまう)
栄養障害、痔の原因にもなってしまいます。
膵臓(すいぞう)の病気
そもそも膵臓なんていう臓器を知らないという人もいるのではないでしょうか。
私だって自分が膵臓の病気にならなければ知らなかったかもしれません。
それぐらい地味?な臓器でもありますが人間の体にはなくてはならない臓器でもあるのです。
私のアルコール依存症が発覚した時は肝臓の病気と同時に膵臓の病気もあったのでした。
実は、激痛があったのは膵臓だったのに肝臓の数値があまりにもすごいことになっていたので
膵臓のことなんか気にも留めていなかったような気がします。
でも、この時もっと意識していれば糖尿病にもならなかったかもしれません。
・急性膵炎
私が経験した恐ろしい痛みはアルコールの大量摂取によって引き起こした急性膵炎でした。
背中の後ろをナイフで刺されているような感覚と腹痛と吐き気と下痢がいっぺんに襲ってくるのです。
もう、どうしょうもない苦しさでした。
そんな状態で病院に駆け込んで救急で診てもらうのですが、記憶に残っているのは肝臓の数値だけ。
その時、膵臓が悪いなんて聞いた覚えがないのです。
急性膵炎も後から調べて分かったのでした。
早い話、膵臓が炎症を起こしていたのです。
お酒で傷ついた膵臓に塩をたっぷりすり込んだ感じと言えば想像がつくでしょうか。
・慢性膵炎
慢性と言えば、急性が急性でなくなってしまうこと?
意外なことにそうではなく、基本的には別な病気だそうです。
私も急性膵炎を何回か患ってしまったことは覚えているのですが、その後は慢性膵炎だったのかどうかは不明です。
ただ単に、お酒の飲みすぎが原因で糖尿病になってしまったのだと。
だって、自慢じゃありませんが
私はアルコール依存症...だったのです、記憶にございません。
いつからいつまで、どんな病気だったかなんて覚えてないのです!
とは言え、膵炎はアルコールが関係しているケースが最も高いと言ことが分かっています。
さらには、急性膵炎、慢性膵炎ともに喫煙率の高さも挙げられています。
私が糖尿病に移行していったのは明らかにアルコールと喫煙の影響だったことは間違いないようです。
・膵臓ガン
そして、本日最も気になる膵臓ガンについてなのですが
ここでも意外なことに膵臓ガンと飲酒の関係については明確な文章が見つかりません。
以前のブログにも書いていますが、膵臓ガンと喫煙については深い関係があると言われています。
ところが、膵臓ガンと飲酒については明らかにされていなのです。
ただし、毎日の飲酒が慢性膵炎を引き起こし、それが膵臓ガンのリスクを引き上げる結果にはつながりそうです。
うちのアウトローな旦那が、徐々に慢性膵炎を引き起こしていたのでしょうか。
どうしても、どこの時点でガンに発展していってしまったのか原因を究明したいのですが
あまりにもいきなり過ぎて分からない!
うちの旦那は大量飲酒ではなく毎日ダラダラ飲酒でした。
1日中ダラダラ飲み食いしてタバコをスパスパ吸っていたのです。
後悔しないためにできること
大切な人を失ってから気がつく「たられば」。
あの時、こうしてればこうはならなかった...
あの時、ああしてあげたらよかった...
後悔しないためにできることはあるのでしょうか。
1.逆流性食道炎じゃないの?
とにかく、夜中のゲップがすごかったのです。
聞いていて気持ちが悪くなるぐらいで「もう!全く!」
ゲップはオナラにならなかったものが口から出てくるというイメージだったため、いつも冷たい目で見ていました。
でも、ここで気がついていれば...
「何でそんなにゲップが出るんだろうね。1度病院で診てもらえば?」と言ってあげてれば...
誰だって炭酸を飲んだ時や食後なら出るゲップですが、夜中に頻繁に出ると言うのは普通ではありません。
ましてや、胃の不快感を訴えている場合は「たかがゲップ」などと安易に考えずに受診するようにしましょう。
頻繁に出るゲップの影には胃食道逆流症(逆流性食道炎)や食道ガンなどの病気が隠れていることがあります。
2.ピロリ菌じゃないの?
うちの旦那は最初、町医者に行ったのですが症状が改善しないので大きな病院に紹介状を書いてもらって、近くにある大病院に行きました。
そこで最初はピロリ菌だと診断されたのですが検査の結果、ピロリ菌ではないことが判明。
で、何かの薬は飲んでいましたが何の薬かは知りませんでした。
その時は、まさか「ガン」なんて全然想像もしてなかったのです。
それに、旦那は胃の不快感は訴えていましたが痛みがあるようには見えなかったのです。
あれほど1日中ダラダラと飲んだり食べたりがなくなって、「何を食べても美味しくないな」程度だったので
「そんなの当たり前よ、だいたい今までがおかしかったんじゃないの?」ぐらいにしか思ってなかったのです。
急性膵炎を経験している私から言わせれば、旦那の不快感や痛みなんて屁でもない!と思っていました。
それも良くなかったのでしょう。
もっと真剣に聞いてあげたら良かったのに...
ピロリ菌は近年減少傾向にあるようですが、感染するとやはり慢性胃炎や胃ガンなどを引き起こす危険性があります。
胃の不快感などを感じたら放っておかずに病院で診てもらうことをおすすめします。
3.膵臓ガンの疑い!
そうこうしていても、胃のお薬を飲んでいるのに全然改善しない旦那。
ここでも、急性膵炎を経験している私は「う~ん、これは胃ではないな」と感じました。
あれだけ病院が嫌いだった旦那が再度病院に行くことすら信じられなかったのですが、やはり苦しかったのでしょう。
素直に再検査してもらうことに。
そしたら、その日のうちに「膵臓ガン」の疑い有り!
って、青天の霹靂ってこういうことを言うのでしょうか。
これが不思議なんです。
病院ではピロリ菌ではないと言うことが分かったのに、他の病気を疑わなかったのでしょうか?
そこで、「他の検査もしてみましょう」とは言わなかったでしょうか?
ピロリ菌じゃないということが分かって結構経っていたと思います。
ピロリ菌じゃないと分かってすぐ、他の検査もしていたらステージⅣの膵臓ガンなんかになっていなかったかもしれません。
ここまで本当に「たられば」を思ってしまいますが、今となっては何を言ってもはじまりません。
ですが、病院ではこちらから言わない限り積極的に「検査をしましょう」とは提案してくれないのだということが分かりました。
膵臓ガンを治療する
前の検査で膵臓ガンの疑いがあるということになり、検査入院をして明確な判断をくだすことになります。
結果はやはり膵臓ガン(ステージⅣ)に間違いありませんでした。
早速、治療方法を相談するのですが
ガンの大きさが4㎝もあること、腹膜播種(ふくまくはしゅ)があることから手術は不可能であると言われました。
腹膜播種というのは、腹膜にガンの種がバラバラと広がっていることを言います。
つまり、ガン細胞が臓器の壁を突き破って腹膜に広がっているということでした。
そのような状態での手術が無理なのは仕方のないことだったのです。
抗がん剤治療
手術が無理なので、抗がん剤治療を受けることになりました。
この段階ではまだ、治る感満載です。
だって、そのための抗がん剤でしょ?
ところが、2回ほど受けたばかりなのに血液検査の結果が良くないことや食欲が戻らないことでレントゲンを撮ってみることに。
すると、膵臓にできたガンが十二指腸を塞いでしまっているため食べ物が入っていかないことが分かりました。
バイパス手術
抗がん剤治療を受けても食べ物が入っていかないことから、消化管バイパス手術を行うことになりました。
難しい手術ではないようですが全身麻酔を施すため71歳の老体にはかなりきつかったようです。
手術後はかなり衰弱していました。
が、しかし食欲が戻ることはありませんでした。
その後、1回だけ抗がん剤治療を受けることがありましたが、その後ドクターストップがかかったのです。
つまり、抗がん剤治療を受ければ受けるほど体力は消耗するばかりで回復の兆しは一向に見えないと判断されたからです。
それでも闘いたい
大きな病院はガン患者であろうとも容赦なく待たせます。
「ちょっとお待ちください」と言われて30分や1時間平気で待たせます。
そうです、患者はうちの旦那だけではありません。
しかし、実際、ガン患者であり、かなり切迫した状態なのです。
そこで私たちは作戦を考えました。
とにかく、病院に着いたら体調が良かろうが悪かろうが「とても辛くて座って待ってられそうもありません、まずは点滴をお願いします」と。
すると、割と早めに対処してもらえたのです。
本当に辛かったのも事実ですが...
ところが、おそらく最後の診察となった2020年の11月18日はこの作戦を使いませんでした。
だって、ドクターストップがかかりそうだったから。
その日はいつもに増して混み混みの待合でした。
医者の方から「○○さんにはベッドで横になってもらっているように」と看護師さんに支持があったぐらいです。
ですが、旦那は毅然と「いや、大丈夫です!」と椅子に座って順番を待っていた...のに
少しでも回復しているように見せて治療を続けてほしかったのです。
診察室には、医者と看護師、そしてワーカーさんと私たち夫婦。
医者たち3人が「もう、抗がん剤は受けられませんよ、治療も受けてもしょうがないですよ」というようなことを説得してきます。
1番印象的だったのは食事がとれているかいないかを聞かれたときです。
食事があまりとれないことで病院からはエンシュアという栄養ドリンクが処方されていたのですが
「エンシュアは飲めていますか?」と看護師。
エンシュアとはとても甘くてまずいので旦那はほとんど飲んでいませんでした。
そこで私が「あまり...」
旦那「飲み...」
と、はっきり答えられないでいると
「大事なことなんですよ!」と看護師さんがビシ!っと大きな声で言ったのです。
医者に説得され頑張っていた旦那も抗がん剤治療は断念、病院での治療もあきらめることに。
病院側は高齢で治る見込みのない患者に手をかけている暇はないんだ、と言われているような気分でした。
そして、コロナ禍であることから自宅療養という名目の「緩和ケア」になったのです。
自宅での療養
私は病気の旦那を自宅でケアしたいなんて「これっぽち」も思ってはいませんでしたが
その病は、ステージⅣの膵臓ガンであり、このコロナ禍。
万が一どころか確実に死が近づいているのです、私はともかく子どもたちにはパパの最期を看取る権利があります。
入院しながらの緩和ケアではイザという時にも会わせてもらえるかどうか。
旦那は元々がわがままなので、その延長だと思えばそんなにきつくもありませんでした、が!
日に日に弱っていくのを見るのは切なかったです。
旦那も何を考えながら毎日を過ごしていたのでしょう。
そんなある日、旦那の元同僚から丸山ワクチンという民間療法があることを聞かされたのです。
私は正直、効くか効かないか分からないのに振り回されたくないと思いました。
でも、本人はそれこそ藁にも縋る気持ちだったのでしょう。
すぐに私に調べるように言い、丸山ワクチンを受けることになったのです。
丸山ワクチンを受ける
幸いにも家のすぐ近くの病院で丸山ワクチンを受けることができたのです。
丸山ワクチンについてはこちらをご覧くださいね▼
すぐ近くと言っても歩いて行くわけにはいきません。
膵臓ガン、ステージⅣということで要介護2となっていたので車椅子をレンタルすることもできましたが、やはり車は必要でした。
私は全くのペーパードライバーだったのですが、旦那の病院通いのため運転する羽目になりました。
そして凡そ、10回ほどは丸山ワクチンを受けに行くことができたのですが...
お別れができなかったけど
丸山ワクチンを受けることは旦那の唯一の希望でもありました。
ですが、受けたからといって全く回復は見込めません。
時は年末、「このまま年を越せるだろうか」
年越しができた
そんな不安をよそに旦那は苦しいながらも年を越すことができたのです。
もう、ほとんど食べ物を口にしなくなってから1ヶ月は経っていたでしょう。
飲み物ですら、ほんの少しずつのお水とジュース、ヤクルト、R1、リポビタンD、そしてたまに、ミカンを3房。
すっごい体力だと思いませんか?
ネットで調べてみても、そんなガン患者はいませんでした。
点滴も受けていましたが、点滴をしていると苦しい期間が延びるだけだと言われたので
旦那には分からないように点滴は受けないように仕向けたのです。
旦那の体重は病気前から21㎏減っていました。
家族を呼ぶように言われて
年は越せたものの、衰弱は恐ろしいほどでした。
71歳という年齢が信じられないほど老け込んでしまい100歳だと言われても通用するような容貌でした。
たまにうめき声をあげるのですが、苦しいのか痛いのかももう分かりません。
薬も全部吐いてしまうのでモルヒネ注射に切り替えました。
そして、今年に入った1月7日
私が血圧を測ったのですがエラーになってしまいます。
血圧計がおかしいのかと思ったのですが、訪問看護師さんが来てくれて測った時にも測れないことから
「もう、血圧も測れないし脈も弱くなっているので家族の方に連絡したほうがいいですよ」
と言われたのでした。
子どもたちに連絡すると3人ともすぐに来てくれました。
でも、当の本人はなぜ子どもたちがいるのか不思議に思ったかもです。
だって、本人はまだ死ぬなんて思っていないのですから。
この1月7日はまだ死神には呼ばれていないようでした。
最後の最後まで闘い続けて
もうほとんど意識のない旦那。
「何か飲みたい?アイス食べる?」と聞くと「うん」と。
最後の食べ物がレディーボーデン2口になってしまうとは...
苦しんで苦しんで胆汁を吐き続け、うめき声を挙げている旦那の隣で抱きしめながら一緒に寝ました。
何かにすがるように手を差し伸べるような仕草をして助けを求めていたのかもしれません。
看護師である次女が少しずつ低くなっていく脈を手に取りながら、ついには制止したのを確認しました。
最後の最後まで闘い続けた旦那は苦しみからやっと解放されたのです。
家族5人が久しぶりに集まった年始、1月9日の未明のことでした。
後悔は数々あるけども
最後は家族全員が揃ったというのに、死ぬとは思っていない旦那と死ぬことを知らせてない私たちがお別れの挨拶をすることはできませんでした。
いくら全員が死ぬことを知っていてもう目前に迫っていても、それを口にしてはいけないと思っていたからです。
でも、今は後悔でいっぱいです。
最後に、言いたいことがたくさんあったのに...
最後に、聞きたいことがたくさんあったのに...
それは、子どもたちも同じ思いでしょう。
しかし、どんな形の最期でもそれは同じかもしれません。
どうか皆さん、あなたの大切な人を簡単に失わないためにも日々の身体の様子を見ていてください。
そして何か気になることがあったら受診をすすめてください。
寿命かもしれないし、運命かもしれませんが、少しでも後悔がないに越したことはありません。
人はいつか亡くなりますが、少しでも苦しみがないように、少しでも長く一緒にいられるように。
まだまだ吐き出したいことはたくさんありますが、今日のところはこの辺で。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さまの心と身体の健康を心からお祈り申し上げます。