京王線刺傷犯人とバッドマン「ジョーカー」の共通点とは?なぜ憧れたのか?
先日の10月31日午後8時頃、東京・調布市を走る京王線内で乗客を刺傷させる事件が起きました。
皆さんもさぞ、驚かれたことと思います。
後の報道で犯人は「人を殺して死刑になりたかった」と供述していることがわかりましたが
現在のところ詳しい動機は解明されていないようです。
また、犯人は米コミックで人気の「バッドマン」に出てくる
悪役「ジョーカー」に憧れてジョーカーのコスプレを真似ていたことが明らかにされています。
今回の事件と「ジョーカー」にどんな共通点があり、なぜ憧れていたのかを私なりの目線で探ってみました。
目次
京王線刺傷事件犯人とジョーカーの共通点
京王線刺傷事件で逮捕された服部恭太容疑者(24歳)は
アメリカの人気コミック「バッドマン」に出てくる悪役「ジョーカー」に憧れ、ジョーカーを真似て犯行に及んだと報道されています。
今回の犯人、服部容疑者の心理とジョーカーには何か共通点があるのでしょうか。
そこで私も、遅ればせながら映画「ジョーカー」を観てみました。※ネタバレを含みます。
社会に居場所がない
映画「ジョーカー」の主役はアーサー・フレックという心優しい青年です。
アーサーの住むゴッサム・シティは大都会ですが、貧富の差が拡大し困窮した市民が疲れ切っていました。
それが、アーサーが後に起こす犯行に大きな影響を与えることになるのですが...
アーサーは、緊張したり興奮すると派手に笑ってしまう脳の病気を抱えています。
生活は貧しく身体の弱い母親と2人暮らしですが、何とか福祉の支援とアルバイトで日銭を稼ぎ食いつないでいました。
アーサーのアルバイトはピエロの格好をして道化師となる仕事を派遣会社から受けています。
そんなアーサーの夢はコメディアン。
人を笑わせることが唯一、自分ができる天職だと思っていたのでしょう。
ある日、ピエロのコスプレで楽器店の宣伝アルバイトをしていたところ街の不良に絡まれ、宣伝用の看板を壊されてしまうのです。
それはもちろん、どんな言い訳をしても派遣会社から叱られます。
弱い者にはどこまでも薄情な社会です。
アーサーはアルバイト仲間に「これで身を守れ」と一丁の銃を渡されるのですが、後にとんでもないことに...。
後日、派遣先の小児病棟でアーサーは歌をうたいダンスをしながら子どもたちを喜ばせています。
ところが、先日仲間からもらった銃がポロリと床に落ちて慌ててしまいます。
それが派遣先に知られてしまいアーサーはアルバイトを解雇されてしまうのです。
時同じくして、福祉の支援も社会状況悪化のため打ち切りになっていました。
もう、脳の病気の薬をもらう手立てもありません。
解雇を宣告されたアーサーは、ピエロ姿のまま家に帰るため地下鉄に乗ります。
電車内では酒に酔ったビジネスマン3人が1人の女性をからかっていました。
女性はピエロのアーサーに助けを求める目配せをしますが、アーサーは緊張のため笑いが抑えられません。
ビジネスマンたちの今度の標的は当然アーサーとなり、3人で殴る蹴るの袋叩きにしてしまうのです。
我慢できなくなったアーサーは、持っていた銃を取り出し、1人、また1人と3人を射殺してしまうのでした。
その事件を境にアーサーは何かが弾けたように高揚感を覚えます。
その後、驚いたことにこの地下鉄射殺事件の犯人・道化師のピエロは
英雄化され富裕層への反発デモがあちらこちらで行われてしまうのです。
なぜかというと、地下鉄に乗っていたビジネスマンは
ゴッサム・シティの大富豪トーマス・ウェインが経営する会社のエリートビジネスマンだったからです。
この事件の後にも、過去の真実を知り母親を殺してしまったり、射殺事件を起こします。
犯行を起こすまでは社会に居場所もなく惨めな思いばかりを感じていたアーサーですが
犯行を起こしたことで初めて社会に認められ、英雄にもなれたと感じてしまったようです。
京王線犯人も社会に居場所がなかった?
今回の刺傷事件の服部容疑者は自分もジョーカーと同じように社会での居場所がないと感じていたのでしょうか。
これまでの報道によると「人を殺して死刑になりたかった」と動機を供述しているようですが
自分が死にたいために人を巻き込む犯行はこれまでにもありますよね。
ちょっと前の小田急殺傷事件、秋葉原無差別殺傷事件、新幹線3人殺傷事件
少し違うような気もしますが京アニ放火事件、池田小事件など結構な数の事件があります。
殺傷事件の場合、動機はお金がほしいから、その人が嫌いだから、恨みがあるからというのが多かった気がするのですが...
自分が死にたいからって人を舞き込む事件が目だって来ているような気がします。
アーサーが脳の病気のため不必要なところで笑いを抑えられず不気味だと思われて社会が受け入れてくれないこともあったようですが
今回の刺傷事件の服部容疑者は、自分で勝手に社会が受け入れてくれない、社会に居場所がないと感じたのではないでしょうか。
なぜ、憧れた?
今回の京王線刺傷事件の服部容疑者はまだ24歳と若く、人生に挫折するには早すぎると感じてしまいますよね。
仕事や人間関係が上手くいかず悩んでいたという知り合いによる証言もあるようですが、ジョーカーの何に憧れたのでしょうか。
優しく真面目
映画「ジョーカー」のアーサーは脳の病気はあるものの、とても優しい真面目な青年でした。
貧乏を嘆いている母親をなだめながら、自分が食べなくても母親には食事をさせています。
一方、服部容疑者も
「目立たないが挨拶を欠かさず人の荷物を持ってあげる優しい一面もあった」という証言もあります。
また、高校時代は空手部に所属していたようで
「礼儀や人に対する優しさを持っていた」とも言われています。
映画の中でアーサーは同じアパートに住むシングルマザーに恋をしますが、彼女との恋はどうやら妄想に終わったようです。
服部容疑者も高校生のときに彼女ができて随分とラブラブな時期もあったようですが、後に破局しています。
ですが、そんなの誰だって経験していること。
服部容疑者はこの破局でかなり落ち込み、病んでしまったと言われているようです。
恋の破局は共通点と言えますが、これで社会を恨むのだとしたら筋違いもいいところです。
挫折感
アーサーは幾たびの挫折にも耐えています。
しかし、支援が打ち切られ病気の薬さえ手に入らなくなり、それが仇となったのか犯罪を犯すことに罪悪感がなくなってしまったようです。
その反面、この度の犯人はどうでしょう。
人生を悟るにはまだま早い24歳の青年です。
失恋したって、仕事の1つや2つ上手くいかなくたっていくらでもやり直しができるはず。
脳に病気を抱えている人だって一生懸命生きているのです。
なぜ、そんなに早く答えを出してしまうのでしょう、なぜ、そんなことで挫折を感じてしまったのでしょう。
空手という厳しい武道をやっていたのは何のためだったのでしょう。
人を巻き込んでまで死刑になりたいと思うのはあまりにも短絡的な思考だと言わざるを得ないと思ってしまいます。
服部容疑者は、アーサーが挫折感にもめげず強くなり社会の英雄になれたことに憧れを感じていたのかもしれません。
承認欲求
人は誰でも人に認めてもらいたいという承認欲求があります。
ジョーカー(アーサー)と今回の犯人の承認欲求はどうだったのでしょう。
アーサーの承認欲求
アーサーの夢はコメディアン。
コメディアンで成功し認めてもらうことが承認欲求でもあったはず。
大きな舞台でコメディを披露することができたのですが、緊張のあまり自分が笑ってしまい失敗してしまいます。
それが後に、もっと大きな舞台でコメディを披露するきっかけとなるのですが
それは単にコメディアンで尊敬するマレーがアーサーのコメディをコケにするためだと知ります。
さらに、その場で3人のビジネスマン銃撃事件の犯人は自分だと告白。
そしてマレーに責められ怒りが爆発したアーサーはマレーを射殺してしまいます。
笑いで認められたと思っていたアーサーはマレーが許せなかったのです。
その後、駆け付けた警官に逮捕されパトカーに乗せられると、街では大きな暴動が起こっていました。
アーサーを英雄化した市民がアーサーを助けるためにトラックでパトカーを襲撃。
上手く逃げることに成功したアーサーは地下鉄に乗り込むのですが、その時の姿がまさにジョーカー
紫のジャケットに緑色のシャツ、髪も染められタバコを吸っています。
犯罪は犯してしまったものの市民にはアーサーが英雄と映り、承認欲求が叶ったと感じたのでしょう。
服部容疑者の承認欲求
服部容疑者の犯行時のコスプレはアーサーが地下鉄に逃げ込んだ時のスタイルそのものでした。(でもなぜ、顔はジョーカーじゃなかった?)
しかも、世間はハロウィン、自分も目立ちたいと思ったのでしょうか?
服部容疑者は刺傷事件を起こして世間が自分を見ている
憧れのジョーカーと同じ英雄になれたと感じ承認欲求が満たされたのでしょうか。
閉塞しきった社会に警笛を鳴らしてやったんだ!
くらいの気持ちになったのかもしれません。
しかし、映画「ジョーカー」の背景は貧困や格差、病気で社会に居場所がないなどがテーマになっています。
今回の事件の背景にこのようなことがあるのでしょうか。
人は誰でも長い人生の中で精神的、または経済的に追い込まれる状態になることもあります。
ですが、誰もが支援を受けられるものでもないし、手を差し伸べてくれるとも限りません。
多様性や寛容性を欠いた生きづらい社会だと感じている人はたくさんいるでしょう。
決して、今回の犯人を許すことはできないし社会のせいにすることも容認できませんが
ここのところ、YouTube等の動画でも目立てばよい、社会に認められれば悪いことでもよいという風潮が
京王線刺傷事件のような犯行を挑発させてしまうような気がするのは私だけでしょうか。
今回の犯行の全貌が明らかになってないので憶測にしかすぎませんが
映画「ジョーカー」のアーサーとの共通点もなく、服部容疑者の独りよがりの犯行だと思います。
いくら社会に認められず居場所がないと感じて、自分が死にたいからと人を巻き込むのことは絶対にやめてください。
歪んだ心の病は闇を生んでしまいます。
この度の京王線刺傷事件でケガをされた方、心に傷を負われた方には一刻も早いご回復をお祈り申し上げます。
今回は私の独断と偏見で意見を述べさせていただきました。
最後までお読みくださりありがとうございました。
皆さまの精神と身体の健康を心からお祈り申し上げます。
webライターやってます。